マスターのプロフィール (2004/06/30)

田中幹人(たなかみきひと)
1963年(昭和38年)4月10日愛知県名古屋市生まれ
愛知県立刈谷高等学校卒業
山口大学経済学部を6年もかけてギリギリ卒業
新卒で鞄本総合研究所、中途で潟香[ソンに入社し2001年退職後、2002年7月にクラスタをオープン。
良い出演者、良いお客様に恵まれたことに感謝しつつ今日に至っている。
引越し歴14回。(横浜市、大和市、川崎市/山口市、下関市、岩国市等山口県にのべ10年在住)
好奇心と行動力はかなりあると思うのだが、向上心はほとんどない性格のようだ。
長所:正直。短所:馬鹿正直。
趣味:最近趣味を楽しむ時間がないがギター以外では、
・麻雀 ・ゲームセンター(パチンコとかパチスロは運だけみたいで楽しくない)
・地図読み(古い地図も大好き)
・バイクでのキャンプツーリング(これこそもう行く暇がないなー)
・激辛カレー(国分寺駅前のカレー屋さんで100倍の記録保持者だったが火事で焼けてしまったのが残念)
・温泉(山口県内の温泉はほぼ制覇)
・読書とかパソコン、 は趣味のための手段であってそれ自体は趣味になるものではないと思うのである。
主な音楽履歴
小2,3年の時ピアノを習う。この時に楽譜の読み方を覚えたのがあとあと助かった。
バイエル終了まで習い、その後独学でソナチネ前半まで進んだが中学で挫折。今では全然弾けない。
中2の時学校でギターが流行ってこづかいをためてヤマハのFG−201を買う。(現在クラスタに常備)
アリスとかかぐや姫とかサザンとかイルカとか当時の流行りにひととおりはまる。
FGを買った2ヶ月後、父の勧めで近所のクラシックギター教室に通い、中2、中3、高1と3年間習う。
1時間のレッスン中、最初の30分間はずっと基礎練習だけをやらされていた。当時はなんなんだと思っていたが今考えるとあれはよかった。
中高大とビートルズにかなりはまる。
ほんの一瞬エレキギターを所有しビートルズのコピーバンドをやっていたこともあったような気がしないでもない。
大学以降は独学で細々とクラシックギターを続ける。2回も留年したのはギターのせいではなく、アルバイトと麻雀とバイクにはまってほとんど学校に行ってなかったためである。(お父さんお母さんごめんなさい)
サラリーマンでの最後の転勤で1996年秋に東京に来る。
国立のライブハウス「リバプール」のビートルズデーで知り合った地元ミュージシャンのスイーティ平さんの紹介で、今はなき国立ジルの月1フリーライブでソロギターを演奏。2001年6月からクラスタ開店直前の2002年6月まで参加。
しかし、クラシックギターはごく一部のマニア以外には全く受けないことを実感。(唯一受けたのは「禁じられた遊び」のみ)
この時の経験が、クラシックをもっと気軽に楽しんでもらえる場所があればと、クラスタ開店のきっかけとなる。
自分としてはせっかく弾くからにはもっと受けるものを、と考えていたところにギター大編曲家の江部賢一氏と南澤大介氏のソロギター楽譜に出会いはまる。
特に、江部賢一氏編曲「風笛(あすかのテーマ)」(大島ミチル作曲)を聴いた時、「ソロギターにこんな素晴らしいものがあったとは!?」と衝撃を受け、この道にはまり込むきっかけとなった。
この頃毎週のように楽譜を買い漁り、その中で「ボサノバ」の存在を知る。そして「イパネマの娘」が弾きたくなり楽器屋で「イパネマの娘が弾ける」と書いてあるビデオを見つけ、中身もよく確かめずに購入。それがたまたま佐藤正美氏のバーデンパウエルバージョンであった。ヒー。
ここから私のバーデン好きが始まるわけであるが、その前年にバーデンは亡くなっていた。だから現役時代のバーデンについて全く知らない。
2001年10月に21年ぶりにギター教室の門を叩く。クラスタでもお馴染みの日本有数の男前ギタリスト上田浩司先生にクラスタ開店直前まで師事。上田先生はレッスンプロに留まらずライブ活動も作編曲執筆活動も積極的にされているギタリスト。人前で弾く時の心構えやミスった時の緊急対応法などかなり実践的なことを教えていただいた。
そして2002年7月5日クラスタオープン。連日プロによる超ハイレベルな生の演奏を聴く事が出来て幸せである。特にソロギターインストに関しては日本で一番耳を肥えさせてもらってるんじゃないだろうか。
演奏はもっぱらナイロン弦で、あえて楽譜通りCD通りの完全コピーにこだわっている。これが実は妥協が一切許されないものなのでかなり難しい。
ソロギターオンリーで、楽譜通りに弾いていれば理論は必要ないのでほとんど分からない。さらにはセッション・アドリブの類は全然出来ない、融通応用の効かないダメダメギタリストである。
(加筆するかもー?)

(イラスト:野辺画伯)

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